【ハローあおい】黒ずんだ老桜の幹、満開の桜、観音様をまとめてパチリ、そして二つのミッション

 6月25日は、新サイト(ハローグラス)のリニューアルアップの予定日でしたが、作業量の多さや細かな手違いなどがありずれ込んで6月28日になってしまったことを、お詫びします。

 梅雨本場のこの時期になると毎年美空ひばりの追悼番組が多くなり今年も楽しみながらもリニューアル作業に追われていた。6月24日は美空ひばりの30回忌、連れて思い出すのが市川市大門通りのあおいが死んだのも、美空ひばりの後を追う様に9日後の7月3日だった。虫の知らせでわかっていたせいか不思議なくらい冷静でいられた。テレパシーなのかも知れない。例えば、電車に乗っていても乗客の中にビックリするほどそっくりさんが目に映ったりして始終傍にいる感じがしていた。

 この死を境に市川での生活を終着駅に到着したと区切りをつけ、大きな転換点になる第2の人生の始発駅に切り替えた。以来、早いもので29年間過ぎたが、ライフワークのチャレンジは今も続いている。その大きな節目に今回のハローグラスサイトのリニューアルアップを位置付けていた。

 そのミッションの一つが、やっと新しいタイプの"縁なしステンドグラスの商品概念"にまで思考をまとめることが出来たこと。これはビジネスモデルに近いと思うので、これからは優先順の高いものを商品化する収支を伴ったビジネスプラン作りや創業に重点を移したい。

 それともう一つのミッションが、今までのニックネーム"たそがれ広湧"から"ハローあおい"に変えて投稿を続けることにしたこと。何はともあれ、"市川市大門通りに"あおい"があった"ことを伝えることにしている。彼女も喜ぶと思うから。私が、お店を継がずに好きな道を選んだこともあって、市川での生活に深い愛着を持っていた彼女の最後の夢も少なからずしぼんでしまった、と言う、申し訳ないやら辛い切ない負い目がある。が、自分の選んだ道を悔いているのではない、二兎を追う実力のなさを実感していたので自分の道に専念したかった。事実今以てチャレンジ中なのだ。悔やんでいることは40代の若い死とその後のネコババ紛失を防げなかったこと。当たり前のことだが、これが暗い影を落とすことになったこと。

 ときに、予定では本サイトの公開が春だったので、今年は小岩菖蒲園の花菖蒲を撮りに25年ぶりに市川を訪れ観音寺にもお参りするつもりだった。が、これはリニューアル作業に明け暮れ実現しなかった。

 代りに、近くの退魔寺の観音様を撮った写真があるので掲載することにした。リニューアル作業の真っ只中、気分転換に桜満開の観音様を撮りに。他にも撮りたい光景があったので。それが、一昨年に撮って掲載した写真で、影絵のような退魔寺風景。

sakura338.jpg

 満開の桜の下の鐘楼堂と錫杖を手にした観音様(かな?)が癒しの雰囲気だったので撮ってみたもののNG写真になってしまった。そこで、明度補正したら・・・影絵というか切り絵というか、こんな写りに。昔話に出てくるようなメルヘンチックなイメージになった。

 負け惜しみになるが、晴れた日に華やかで明るく撮ったら、否逆光で今のイメージで撮ったら、どんなイメージになるだろう、と・・・。チャンスがあれば撮ってみたい素晴らしい景観だった。

と、記事にしていたこともあって、再チャレンジしてみた。

sakura412.jpg

しかし、穏やかな感じは伝わってくるようだが、何か物足りない気がしている。

やっぱり、夕暮れの西方浄土のイメージに重ねる暮色イメージが良いようだ。次はそれを狙って撮ってみたい。写真の奥が西方で、逆光狙いになる。

sakura413.jpg

以前、牡丹の花を背景にした観音様を撮っていたので、今回は桜の満開を背景にして、パチリ。

 ふくよかな感じのする女性の観音様は、頭を見ると十一面観音菩薩だった。背後の黒ずんだ丸太のような老桜の幹と並べて撮ったのは、何故か、このごつごつした炭のような木肌の丸太ぽい幹に愛着を感じたからで。比べて隣の幹も老桜なのだが見事に満開を迎えた幸せの姿に見えた。

 ふくよかな観音様や満開の桜は、幸せが続くことを願っているようだ。が、その難しさは、花の散る美しさのように危ういことを誰もが知っている。むしろ、黒焦げした丸太に見える老桜の吸引力に、メリハリのある深みを感じ共感している。

sakura414.jpg

本堂を、子供の頃から印象に残っている緑青色したわに口にファーカスして、幸せが充満しているのどかなお寺さん風景を、パチリ。ここには、別離の悲しみを悼むだけでなく、お寺さん本来の姿の雰囲気を感じた。

投稿日:2018年07月08日

人気タグクラウド