【ハローあおい】原野に一株の枯れた菊に、無常感に襲われたが、このままでは終わらない

 古代遺跡の発掘現場のようなあかぼり蓮園を撮った後100m程歩いて、反対側の丘の斜面のあかぼり小菊の里に着いた。
 枯れた菊風景が残っている、と想っていたが、ここでも無かった。辺り一面、何もない砂原の原野に見えた。以前、雪を冠った菊景色を撮っのが、今頃だろう、と勘違いしていた。調べると、2016年11月だった。だとすると、例年この時期の光景なのかも。(全ての菊が東南を向いて雪の頭巾から顔を出しているような雪景色

 どう見ても、菊の冬景色のイメージと程遠い景色だった。でも、ウオーキングを兼ねネタ探ししながら、のんびりと歩くことにした。

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耕運機で刈り取った軌跡が、空っ風でも消し切れず風紋みたいに残っていた。見渡してみると、全て刈り取ったかの様に見えたが、一株だけ道端に残っていたのを、発見!(これって、柿やミカンの実を一つ残す風習と同じなのかな?)
 この瞬間、いいネタが見つかった、と興奮した。同時に、心模様も安堵したせいか、随分サッパリした景色になったなぁ~と驚きの反応に、定番の赤城山を背景にして、パチリ。

この後、じんわりと、虚しさが忍び寄ってきた!

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アップで、撮ろうと道路に座り込んで、パチリ。

枯葉屑もなくきれいなのは、空っ風が吹き飛ばした仕業に違いない。残った小石などが、意外と多く地表に現れている。

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振り返って南を見下ろす。逆光なので、どんな風に撮れるかな、と期待を込めて、パチリ。
 ときに、見下す先の写真の右上部分が磯沼で、隣の窪地にあかぼり蓮園があり、反対側の土手上に天幕城址があるので公園が3つ麓でつながっている。
 時期折々の花、例えば春の桜、初夏のアジサイ、松葉牡丹、夏の蓮やサルビヤ、秋の小菊など。

 なのに、今の何もない冬景色。たまらなく寂しく無常観に襲われた!

 しかし、沈んだままでは終わらない。なぜかしら、ファイトが湧いてくる。本能的な復元作用である『見る癒しや感動』だろう。どうであれ、味わう受け身の立場だから、ニーズを満たしてくれるなら理屈なんてどうでもいい。
 しかし、提供する側は、どうだろう?
 満足して頂けるように、いろいろ工夫した仕掛けがあるはず。このシーンは、自然の為せる仕掛け。出来れば、これを解き明かしたい・・・。

 視点を変えて、売手と買手の場合は、どうだろう。
 買手は、欲しければ理屈はいらないだろう。好きで欲しいのだから。しかし、売手は、成功するための工夫や仕組みが必要だろう。それは、魅せる感動を生み出す仕組み?
この大切な条件が、買手に寄り添った工夫や仕組みだろう。

 果て、ステンドグラスの場合となると、現在、思案中で答えの出ていない課題だった。(大分、屁理屈を展開してしまったが、大きな感心事なのです。目障りだったらスルーして下さい。)

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アップで、パチリ。
 原野の様な印象と、満開の小菊の里のイメージとのギャップにも感動していた。

 美しい小菊の里は、ボランティアの人たちの努力の成果なのだ。さもなければ、この原野みたいな土地に美しい小菊の里は出現しないだろう。日照りが弱点なのかなぁ~、水やりが難しいなぁ~、と、素人の感想。

改めて、ボランテァの人達の苦労を知った。ありがとう、ございます!


投稿日:2019年02月03日

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